ある朝、目を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ。私はシンガポールのランデヴーホテルにいて、土曜の朝をどう過ごそうかと、ベッドの中で考えていた。
Bitcoinを使ってカフェをめぐる。ジャカルタでは到底できないことであるが、シンガポールでならもしかしてという思いがあった。シンガポールは元々はマレー人の土地を、イギリスのラッフルズが開発した土地であるが、インド洋と太平洋を結ぶ重要な場所に位置したことから、貿易港として発展してきた街である。貿易港という性格から、多様な人種が共存しており、いかにもBitcoinを使うのに適していそうな土地柄であった。
そのような思いを抱きながら、シンガポール行きの飛行機に乗り込んだまでは良かった。しかし、シンガポールにいざ着いてしまうと、当初の目的を忘れさせるシンガポールの魅力に抗えなかった。
マーライオン、マリーナベイサンズ。書いてみると陳腐だが、どれもシンガポールを代表する観光スポットであり、一度は行って見なければと思ってしまう。さらに、実際に行ってみるとどこも想像を超えて楽しませてくるので、ますます深みにはまってしまう。
結局、着いた初日は観光に明け暮れてしまい、Bitcoinを使ってカフェをめぐるという当初の目的はすっかりと頭から消え去ってしまっていた。
そんな中到着2日目、土曜の朝を迎えたわけであるが、Twitterを見ているとあるワードが目に飛び込んできた。
「Bitcoinはコーヒーを買うためのものではない」
7. 結論:ビットコインでしか出来ない新市場を考えよう。コーヒーの支払いはブロックチェーンの役割。
— 大石哲之 Tetsu Bigstone (@tyk97) 2017年4月14日
この私がやろうとしていたことを真っ向から否定する言葉を見た時、私はもうぐずぐずとしてはいられないと思ってしまったのだった。シンガポール人 - 中国人というべきかもしれないが - は合理的な人種だ。オランダ、イギリス統治時代には植民地官僚として、都市設計や警察機構を担っていた。そこには、現地人の反感を直接支配層に向けないという白人支配層の狡猾な理由もあったわけだが、中国人の持つ合理的な思考もその一因であろう。
そんなシンガポール人がBitcoinの決済をしていないというのは、Bitcoinがコーヒーを買うような少額決済に向かないという、ある種の証拠を与えてしまうことになる。そのような間接的な証拠を提示するわけにはいかなかったのである。
Aristry Cafe
外は快晴であった。雨の中出て行くのは憂鬱だが、この天気であれば、気分よく出発できそうだ。地図を見ながら、この日のターゲットを決める。とりあえず1件目として選んだのは、Aristry Cafeであった。ここを1件目に選んだ大した理由はなく、以前あるブログでそこのコーヒーを酷評していたのが気になったからであった。
だいたい、Bitcoinを受け入れるようなコーヒー屋がうまいコーヒーを出すわけがないか。そう思いながら、マリーナベイサンズを抜ける約5キロの心地よいランニングの後に、アラブストリートの近くに位置する、そのコーヒー屋にたどり着いたのであった。
店内は朝の光が絶妙に差し込んでおり、気持ちの良い空間が広がっていた。注文したコーヒーとハッシュドポテトのブランチメニューもなかなかの味であった。ビットコイナーらしくない味だ、と思いながらも、これがビットコイナーのグローバルスタンダードなのかと妙な感慨に耽りながら、ランニングでクタクタの胃に朝食を流し込んだ。
胃に満足感を覚えた後、会計をしようとレジに向かうが、この瞬間はいつも一種の背徳感を覚える。フィアット通貨が世の中のスタンダードなのに対して、大して便利でもないBitcoinをあえて使うのはたいそうな言い方をすれば革命家的な、悪くいうと少しイタい人というレッテルを貼られてる気になってしまう。もっとも、受け取る側も同じ穴の狢であるので、気にする必要はないわけだが。
「この店ではBitcoinが使えるって聞いたんだけど?」
「Bitcoinね?ちょっと待ってね。」
幸先順調である。少し褐色の肌をしたマレー系美人がBitcoinと囁くことに微かな興奮を覚えながら、その瞬間を今か今かと待った。
しかし、どうも様子がおかしい。この美人な店員はあまり決済の仕方が分かっていないようであった。たまらず奥から、こちらもマレー系と思われる男の店員がでてくる。
「Bitcoinは今は取り扱っていない。」
あー、そうか。ビットコイナーにしては、おしゃれなカフェだと思っていたが、使えないということを聞いて、納得がいった。
男の店員曰く、最近はトランザクションの承認に時間がかかるから、決済をやめているとのことであった。所詮、その程度のビットコイナーだったのだなと思いつつ、シンガポール人のビジネス感覚にしばらく感心してしまった。彼らにとってBitcoinは手段であって、目的ではないのだと。
一軒目。Artistry Cafe。
— 25歳海外駐在員 (@cryptoexpat) 2017年4月15日
最近トランザクションが全然承認されないから、Bitcoin支払いをやめたとのこと。最初から幸先悪い笑
ちなみにコーヒーは昔Kojiさんが酷評してましたが、意外に美味かったです。 pic.twitter.com/QsWqqNCPQX
New Green Pasture Cafe
気をとりなおして、2件目のNew Green Pasture Cafeに向かう。ここはGoogleマップ上の評価で、星5を付けており期待していたカフェであった。
しかし、ビルの前まで行ってそれが大きな期待外れであることがわかった。カフェは中華街のフォーチュンビルという建物の4階に入っていたのであるが、外見からはどう見てもBitcoinが使えるようには見えないのである。
おそらく周辺の再開発をした際に、立ち退きを迫られた中小小売業者が優先的に入居したビルなのであろう。Bitcoinの先進的なイメージとはかけ離れた、東南アジアのゴタっとした空間が広がっていた。だいたい、フォーチュンビル、占いビルという名前からしてセンスがない。
4階に上ると、これまた期待ができない雰囲気の店があった。New Green Pastureと言うから、緑の多い公園内にでもあるのかと思ったが、実態は緑色の照明を灯して、店内で薬草を栽培する怪しげな店であった。幸か不幸か、まだ営業時間外であったため、この日はホテルに帰ることにする。1日で2回も痛い目を見るのは精神衛生上よくなかった。
その日はインド人街でカレーを食べた後、ガーデンズバイザベイに行き、久々に都会の、だが新鮮な空気を味わった。同じ東南アジアでもここまで差が出るのはどこに原因があるのかと、答えの出ない考えに耽りながら、その夜は更けていった。
翌朝、前日と同じようにランニングをしながら、次のカフェに向かうことにする。Sarniesというこちらもなかなか評判の良いカフェであった。店の前まで行っても、前日AristryやNew Green Pastureに感じた違和感はない。オシャレ過ぎず、かといって雑多でもない、シンプルないかにもBitcoinを取り扱っていそうなカフェであった。
意を決して乗り込もうと思ったのだが、またもやアクシデントに見舞われる。そのカフェはモールの中にあるのだが、モールの自動ドアが開かないのだ。扉の前を行ったり来たりするが、一向に開かない。おかしい、と思い、Googleマップを見ると、開店時間は確かに8時と書いてある。
もう少し粘ろうか、そうも思ったが、時計の針は既に10時を回っている。空腹感には勝てず、結局別のカフェに行くことにしてしまった。
喜園珈琲店は、地元の人たちが朝ごはんを取ろうと賑わっていた。ビーフンや揚げものなど色々な誘惑があったが、店の定番であるカヤトーストとコーヒーを頼むこととする。カヤトーストは一般的には薄手のパン生地にカヤジャムと言われる甘みの強いジャムを塗った料理だが、ここのカヤトーストは厚手の食パンを使用しており、独特のフワフワ感とジャムの甘さがマッチした絶品であった。
さて、ホテルに帰り、この後どうするかと考えた時に、結局1店舗しかBitcoin取扱"候補店"に行っていないことに気がついた。Bitcoinを使ってカフェを巡るという酔狂なことをしようとしながら、結局何もやらずに貴重な休日を潰そうとしている。だめでもともと、トライしてみよう。そのような気持ちが、頭の中を駆け回った。
その日の午後、私は再びNew Green Pasture Cafeにいた。時刻は2時頃、意外に人も入っている。少なくとも、大麻の販売所ではない、と安心して入って行ったが、なんのことはない、ベジタリアン向けのお店であった。
先払い式である旨を丁稚風の男に告げられ、おもむろに尋ねてみる。
「ここではBitcoin使える?」
「ワット?」
「Bitcoin!」
「ジャパニーズ円は使えねえよ」
これはダメだ。BitcoinのBすら知らない。諦めて、ベトナム風春巻とコーヒーを頼むが、お昼に銀座いつきの天丼を食べて満腹な上に、春巻自体大して美味しくもなく、なぜここにトライしてみようと思ったのか、少し冷めたコーヒーをすすりながら考えこんでしまった。
春巻を食べていると、途中店主と思われるおばあさんが食事の感想を尋ねてきた。老獪そうな雰囲気から、もしかすると、最初の店員ではなく、このおばあさんと最初から話していれば、実は…と裏でBitcoin取引ができたのかもしれないが、それを聞く気力もなく、新緑の牧場を後にした。
Sarnies
カフェがダメなら…と、BitcoinのATMに向かうことにする。クラークキーセントラルの地下には、BitcoinのATMがあるという噂であった。そこに行けば、少なくともBitcoinのチャージをすることはできるし、うまく行けば情報も手に入る。私はそこに賭けてみることにした。
シンガポールリバーを望むクラークキーは夜になると、川沿いのバーやクラブで賑わうデートスポットである。その川沿いにあるクラークキーセントラルの地下一階に、中華系の店主が経営するシルバーショップがあり、そこにはBitcoinのATMが設置されていた。そこで持っていたフィアットを全てBitcoinに変えると、店主から情報を聞き出すことにした。
「Bitcoinが使えるって言われてるレストランにいくつか行ってみたけど、どこも使えないね。どこか使えるところ知ってる?」
「ほとんどないな。ただ、このデビットカードにチャージすればどこでも使える。こっちのが、ベターだ、カンファタブルだ、ラピッドだ、セーフティーだ!」
そういうことを聞きたかったわけではない。シンガポール人の野暮さを嘆きながらも、こちらも無理してBitcoinを使おうとしている論理的な理由があるわけではなかったため、弱みがなかったわけではない。そこにBitcoinがあるから、とでもいえば格好がつきそうなものだが、そのBitcoinが使える店を探し回っているのであるから、話にならない。結局、店主もBitcoinを使えるカフェを知ってはいないようであった。
しかし、少なくともフィアットとBitcoinを繋ぐ接点を見つけられたことで、気持ちは少なからず高ぶった。こうなったら、最後にあのSarniesだけでも試してみようじゃないか。
いざ、切符を買い、電車に乗り、ふと店の位置を再確認しようと思いGoogleマップを開いた。Sarniesと打ち込むと、朝に訪れたSarniesとは異なるところに赤いマークが表示されている。
なんと朝行ったSarniesは全く関係のない店であった。危うく全く関係のないSarniesに行き、Bitcoinが使えないことを嘆いてジャカルタに帰るところであった。逆に、このタイミングで気づいたのは、一人のビットコイナーへのsatoshiからの啓示のようにも思われた。しかも、方向的にも乗り換えがスムーズにできそうだ。
本物のSarniesは中華街の入り口にある。店はきゅっと細長くこじんまりとしていたが、外にはオープンテラスもあり、過ごしやすい雰囲気であった。よく欧米人は何にでもcozyと表現するが、このカフェはまさにcozyと言う言葉で形容するのがぴったりなカフェであった。
カフェラテを注文し、おもむろに、この旅行3回目の言葉を口にした。
「Bitcoin使える?」
「使えるわ」
今回は大丈夫だろう。中華系の美人にそう言われ、やっぱり中華系美女に敵うものはないと思いながら、その時を待った。今思い返せば、Aristry CafeとNew Green Pasture Cafeの失敗もこのフィナーレのためにあったのだと、不思議な感慨にふけっていた。
「ここにタッチして」
そう言われ、戸惑いを覚えた。タッチ?QRコードじゃないのか。よくみるとその端末にはVISAと誇らしげなマークが鎮座している。
「Bitcoinで払いたいんだけど」
「これでしょ?」
もしかして、この店ではBitcoinのデビットカードで支払うことを、Bitcoinで支払うと言っているのか。確かに店側からしたら合理的だ。二重払いに悩むこともなく、一瞬でトランザクションは成立する。しかしだ。多くのビットコイナーがしたいことはそういうことではないはずだ。Bitcoinを使って、何かを買う。そこに意味はない。しかし、Bitcoinそのものを使うことに楽しみを見出しているのだ。
そんな想いも虚しく、QRコードの提示はなかった。しかも、先ほどフィアットを全てBitcoinに変えたため、支払うすべが残っていない。財布を見るとVISAのクレジットカードがある。助かった、と思った反面、それが意味することが頭の中を巡り、敗北感に打ちひしがれた。
シンガポール、そこは合理的な国だ。でも、何かが足りない。合理性を超えて面白いと思ったことを面白くやるという点が欠けているのかもしれない。カフェラテがやけに美味しかったことが、その想いに拍車をかけた。
帰りの空港で、シンガポール滞在の感想を書くアンケートがあった。シンガポールらしく、紙スタイルの原始的なものではなく、電子化された掲示板のようなスペースである。最後に何を書くかは決まっていた。
The bitcoin had failed in Singapore.
(*) この物語は実在の都市、出来事を元にしたフィクションである。
紹介したお店一覧
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シンガポールのBitcoinが使えるお店一覧
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